人間には消極的に生きている暇なんてないんです

2017/12/24

花ちゃん in 2017

ILFORD使い捨てカメラ

 

 

 

久々に5時に目が覚め、10分15分布団の中でぬくぬくしていました。5時半にコーヒーを1杯作り(アイスやで)、少し花ちゃんと戯れ、5時45分こうしてパソコンに向かっています。この記事を書いたら少し勉強をしてからまた神社に行こうと思います。

 

 

 

この花ちゃん怖いね。拡大して見つけてね。

 

 

 

「消極的に生きている暇なんてない」ふと目が覚めた時に思い浮かんだこの言葉。我ながら確かにそんな暇ないよなと思います。人生たったの80年しか生きれないのです。誰に遠慮して生きる必要があるのでしょうか(人に迷惑かけろって話ではない)。そもそも80年生きれるかどうかも定かではない。

 

 

 

先日、誰かのfacebookの投稿で面白い記事を読みました。死刑囚と終身刑囚のお話しです。どこかの誰か(詳しくは知らないけど、科学者か?)がたくさんの死刑囚と終身刑囚のことを調べた結果、死刑囚の多くは日々感情表現が豊かで、時に大笑いし、大喜びし、どん底まで悲しみ、号泣したりすると。一方終身刑囚は感情表現が乏しく、生ける屍かのような日々を送ると。

 

 

 

実は死刑囚が処刑されるかどうかはその日の朝に分かるそう。前もって「君何日後処刑な」とは教えてくれない。きっと自殺を防ぐためでしょうね。だから本当にいつ死ぬかわからない。今日生きれても明日の朝には死刑台に連れていかれるかもしれない。まさにいつ人生が終わってもおかしくない状況。それゆえに死刑囚の多くは今日1日をめいいっぱい生きる。とのこと。

 

 

 

一方で終身刑囚は明日には命を落とすかもしれないという危機感は薄い。もちろん病気や不慮の事故で明日に死ぬ可能性はあるのだけど、強制的に命が処刑されることはない。自分の寿命が来るまで生きていれる。ただしその間ずっと塀の中。自分の命はまだまだ終わる気配はない、しかし好きなことは出来ない(塀の外に出たり)。日々無気力になる。

 

 

 

と、塀の中ではそんな日常が繰り広げられているようですが、現代人も自分はまだまだ生きるはずだと思っている人が多いのでは。かくいう自分もそのうちの一人。普通に人生80年とか言ってしまっている。本当に80年生きれるかも分からないのに。精一杯生きれても80年程度の人生なのにも人目を気にし、失敗を気にし消極的に生きる必要がどこにあるのでしょうか。とふと思う。

 

 

 

怖いことがあったとしても積極的に生きる以外人生を満喫する方法はないのではないだろうかとふと暖かい布団の中で思いました。

 

 

 

花ちゃんを見ていると誰に遠慮することもなく生きています。こうしてブログを書いているとキーボードの上を歩こうとします(やめなさい)。

 

 

 

猫も人間もいずれは死ぬのです。消極的に生きている暇なんてないのです。

 

 

 

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